真面目に変わっている人の考えている事
日頃、疑問に感じた事を自分なりに考えて書いていきす。浅学ゆえ多々至らない点があるとは思いますが、一緒に考えたり、間違いをご指摘されるとありがたいです。まずはカテゴリーの「はじめに」を。
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これからも漢方が健康保険で使えるように
次のような記事がありました。記載アドレス http://www.yakuji.co.jp/entry17362.html

【日本東洋医学会など4団体】漢方製剤の「保険外し」反対で署名活動

 日本東洋医学会など4団体は、行政刷新会議の事業仕分けで、医療用漢方製剤の健康保険適用除外の提案が出たことに対して、反対する見解を表明し、4団体連名で「漢方を健康保険で使えるように署名のお願い」とするホームページ(http://kampo.umin.jp/)を開設。電子署名活動を開始している。12月7日を締切とし、集まった署名は関係各所に提出する予定という。


 11月11日に開かれた行政刷新会議の事業仕分け作業では、漢方薬等の市販品類似薬を保険適用外とする方向で結論が下された。これに対し、4団体はHP上で、医師の7割以上が漢方薬を使用し、国民の健康に寄与している現状や、医学教育で漢方が取り入れられ、専門教育なども進んでいることを紹介。「漢方薬・煎じ薬」が健康保険で使用できなくなることに対し「断固反対」を主張している。

 4団体は次の通り。

 ▽日本東洋医学会(寺澤捷年会長)▽日本臨床漢方医会(石川友章理事長)▽健康医療開発機構(武藤徹一郎理事長)▽医療志民の会(木戸寛孝事務局長)


署名に関することは日本東洋医学会http://www.jsom.or.jp/html/index.htmで確認下さい。
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批判ということ
大多数の人が批判するとは悪いこととされているのはおかしな話だ。批判することが悪口を言うことと同じにされている。
その個人の身体や根拠なく経歴に文句をつけるのは誹謗・中傷だ。しかし、批判するとは、その物事に対して、かくとした動かぬものがあるということだ。そこから言葉が発する。批判するということは、そのかくたる像に向かって建設的であろうとするということだ。
 誹謗・中傷にはその人に対する悪意がある。批判には、かくあるべきという事を相手に対する提示がある。根本的に違うものだ。
預言者と呼ばれる人達
預言者と言っても神秘的なことは書くつもりはない。どうも文系というと不合理なイメージがある。私にもそのイメージがあった。フィクションの中で現実を無視しながら生きる人達というイメージです。けれども、ただ言われる人達が文学者か哲学者が多い。まあ、それについて思うところがある。
 一つは彼らの場合は他の学問のように未来に覆ることのない絶対の知識として言葉として積み重ね、後世に残すような一つの体系を構築しません。いわゆる物理学、数学、化学などのようにその世界を作りません。いわゆる世界を固定化しません。
 一つには彼らがやる仕事は、間接的にも、直接的にもいつも接するのは人であり、人が生きるということです。人生であります。自分の肌で感じるしかないということです。今ある世界状況は過去に似ていても一回しかない今です。それだけに見る目が他の学問のように固定化することから免れています。
 もう一つには言葉です。自己体験から、自分の精神から創めるので言葉を理解し生気がただよっています。言葉が生きているわけです。今という時が一回期性のものだけに現実を既存の語彙のみ(過去の現実のみ表現できるが)では無理な場合があります。その場合は比喩であります。今ある既存の言葉に表現できない場合は比喩がいいのです。それを使うのに彼らが優れています。
 預言者と言われる人達はかのような人達だからだと想像できるのです。おそらく政治や世界の動きを見る先見性は理系の学者達より優れているはずです。ほんの一部にしかすぎないでしょうが。
軽蔑ということ
どうもモラリストに見える人達が「人を下に見ることはよくない」と口に出す場合が多いのだけど「見下すこと」と「軽蔑すること」が一緒くたにされてるのは理解できないことだ。他者を意識して自分より下だと判断することが見下すことで、その人に高貴な生き方というものを持っている、あるいは人間としてそれはやってはならないことを感じるのが軽蔑するといういことなんだが。軽蔑ができるということは人間としてのあり方があるということだ。真にモラルがあるということだ。あの優秀に見える人達は先祖から受け継いだ物に型どうりに生きすぎる。とともに高貴さがわかっていないし、ありもしない。一つの問題だと思う。
ずっと考え中
前の書いてることを見ると、どうもおかしい。どうも過去の文を否定するのは自分がいいかげんなのかなあと考えながらも。自己陶酔が激しいなあというのがよくわかる。これは恥ずかしい。が、過去の文はそのままにしておこうと思う。「切腹とは何だったか?」は戦中の人たちに失礼さがありすぎる。考えるというとなかなか時間や何かしら体験しないとというのがあるので、なかなか書けない。マイペースでいきます。
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