FC2ブログ
真面目に変わっている人の考えている事
日頃、疑問に感じた事を自分なりに考えて書いていきす。浅学ゆえ多々至らない点があるとは思いますが、一緒に考えたり、間違いをご指摘されるとありがたいです。まずはカテゴリーの「はじめに」を。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
預言者と呼ばれる人達
預言者と言っても神秘的なことは書くつもりはない。どうも文系というと不合理なイメージがある。私にもそのイメージがあった。フィクションの中で現実を無視しながら生きる人達というイメージです。けれども、ただ言われる人達が文学者か哲学者が多い。まあ、それについて思うところがある。
 一つは彼らの場合は他の学問のように未来に覆ることのない絶対の知識として言葉として積み重ね、後世に残すような一つの体系を構築しません。いわゆる物理学、数学、化学などのようにその世界を作りません。いわゆる世界を固定化しません。
 一つには彼らがやる仕事は、間接的にも、直接的にもいつも接するのは人であり、人が生きるということです。人生であります。自分の肌で感じるしかないということです。今ある世界状況は過去に似ていても一回しかない今です。それだけに見る目が他の学問のように固定化することから免れています。
 もう一つには言葉です。自己体験から、自分の精神から創めるので言葉を理解し生気がただよっています。言葉が生きているわけです。今という時が一回期性のものだけに現実を既存の語彙のみ(過去の現実のみ表現できるが)では無理な場合があります。その場合は比喩であります。今ある既存の言葉に表現できない場合は比喩がいいのです。それを使うのに彼らが優れています。
 預言者と言われる人達はかのような人達だからだと想像できるのです。おそらく政治や世界の動きを見る先見性は理系の学者達より優れているはずです。ほんの一部にしかすぎないでしょうが。
スポンサーサイト
軽蔑ということ
どうもモラリストに見える人達が「人を下に見ることはよくない」と口に出す場合が多いのだけど「見下すこと」と「軽蔑すること」が一緒くたにされてるのは理解できないことだ。他者を意識して自分より下だと判断することが見下すことで、その人に高貴な生き方というものを持っている、あるいは人間としてそれはやってはならないことを感じるのが軽蔑するといういことなんだが。軽蔑ができるということは人間としてのあり方があるということだ。真にモラルがあるということだ。あの優秀に見える人達は先祖から受け継いだ物に型どうりに生きすぎる。とともに高貴さがわかっていないし、ありもしない。一つの問題だと思う。
ずっと考え中
前の書いてることを見ると、どうもおかしい。どうも過去の文を否定するのは自分がいいかげんなのかなあと考えながらも。自己陶酔が激しいなあというのがよくわかる。これは恥ずかしい。が、過去の文はそのままにしておこうと思う。「切腹とは何だったか?」は戦中の人たちに失礼さがありすぎる。考えるというとなかなか時間や何かしら体験しないとというのがあるので、なかなか書けない。マイペースでいきます。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。